2013年11月23,24日に行われた出前コンサートにお越しいただいたお客様、ご参加いただいた演奏家の皆様、関係者の皆様、スタッフの感想文です。
→ 大槌町ホームページ にご来場頂いたお客様の感想が掲載されています
大変お世話さまになりましてありがとうございました。
よい経験をさせて頂きましたこと
感謝申し上げます。
ほんの少しでもお役に立てたのなら…
こんなに嬉しいことはありません。
現地の方と直接お話してみると
2年以上もたつのに
想像していたより はるかに復興は進んでおらず……
本当に驚くほど時間がかかるのですね。
これからも25年培われてきたクウォーターならではの心を持って
このご縁が継続されて行きますこと
願っております。
今回 本当に忙しいスケジュールを無理やり!?調整して参加して下さった梅村さん
結構な!?スケジュールの中、明るく場を和ませ、楽しい時間を作った功労者!
エンターテイナー海野さんに感謝感謝です!
皆様ありがとうございました!
今年も被災地慰問コンサートにお声をかけていただき、演奏家は三名で参加をさせていただきました。
今回は昨年とは違い一泊二日でしたので、かなりの移動を強いられましたが、その長距離運転の重労働を担ってくださいました方々、そしてこの度のコンサート成立に向け関わられた沢山の方々に、まず心より御礼を申し上げます。
さてコンサートですが、今年は原さんが昨年の経験を生かして沢ッ山お持ちくださいましたホカロンを、一~つも使うことのない暖かな中で開催されました。
(内容につきましては多分、ご報告があるかと思いますのでそちらをお読みくださいませ)
私たちの今回のテーマは、生粋の〈クラシック音楽〉を皆様にお運びしたい、というとてもシンプルな発想でしたが、プログラミングの段階でこれがなかなか難儀な作業でした。
しかし加藤知子さんや海野幹雄さんのご発案により素敵なものが完成いたしました。
そして当日、大崎病院や大槌町の皆様の御心に無事届けられたことを嬉しく思っております。
復興という道のりは遥か遠く、まだまだまだまだ時間を要しますが、私たちに出来ることをとにかく長~く続けて参りたいという思いを新たにいたしました。
また来年、皆様にお目にかかりたいと存じます。
このような機会をいただきましたことに感謝の気持ちを込めて。
大崎市、大槌町を訪れて
11月23日、24日の2日間、復興支援出前コンサートに参加させて頂きました。僕にとっては、ヴァイオリンの加藤知子さん、ピアノの梅村祐子さんという素晴らしい演奏家と共に共演させて頂けたことが、まず大きな喜びでした。
今回の訪問先の一つである大槌町は、やはり津波で大きな被害を受けた地域。移動中は、復興の進んでいる場所、まだ全く進んでいない場所等、町の様々な様子にただただ目と心を奪われました。
音楽では、物理的な復興の手助けはできません。音楽家には、演奏することで、人々の心に、一時でも、何か感じてもらえるかどうか、という程度のほんと小さなことしか出来ないのです。
でも、我々音楽家は、その「心で何かを」という小さな事が、その人の心や、人生に、何か影響を与えることがあるのではないか、そう信じていつも演奏しています。
クウォーター・グッド・オフィスの皆様が、やはりそれを信じ、被災地や離島へ音楽を届ける、という活動をされている事に、本当に共感、感謝の気持ちが耐えません。
今回の訪問演奏では、大崎市の病院でも、大槌町でも、聞いてくださったお客様の、演奏後の拍手や笑顔に僕自身が励まされるようでした。これからも、人の心に届くような演奏を出来るよう精進し続けたい、と強く思いました。
大槌町に限らず、あちこちの被災地で頑張っておられる多くの方々に少しでも幸せが来るように心から願いつつ、また今回関係してくださった皆様にも心から感謝申し上げます。
クォーターグッドオフィスの皆様、そして加藤さん、梅村さん、海野さん、
この度は、大変お世話になりました。
以前から「出前コンサート」について、四分一さんを始め、メンバーの方々にいろいろお話しを伺ってはいましたが、実際に今回同行させていただいて、皆さんが仰っていたことを、確かに、目にすることができました。
「音楽は、演奏家と聴衆が一緒に作り上げるもの」
(ここから、訳のわからないことを書いてしまいますが)加藤さん、梅村さん、海野さんのお三方が奏でる音楽が、大崎市民病院の待合ロビー、大槌町中央公民館大会議室に響いた途端、目に見えないはずの「音」が、同じく目に見えないはずの「空気」をさまざまな色に染めて、目に見えるものに変えたように、僕には「見えた」のです。
抽象絵画の開祖、カンディンスキーに「印象Ⅲ(コンサート)」という作品があります(2年前に日本に来ていましたから、ご覧になった方も多いかもしれませんね)。1911年1月、彼は友達とコンサートに出かけ、そこで聴いたシェーンベルクの弦楽四重奏曲に衝撃を受け、すぐさま帰宅し、描いた、とされる作品です。
画中、演奏家や楽器や聴衆などをはるかに上回るボリュームで彼が表現し、いやがおうにも目に飛び込んでくるのが、鮮やかな黄色に色づけられた「空気」。
これは演奏家と聴衆の間に生まれた「エネルギー」の表現だったのだそうです。
素晴らしい音楽と、素晴らしい聴衆によって生まれたエネルギーが、空気を目に見える色に変えた、ということなのだと思います。
「届けたい」という演奏家、スタッフの願いと、「受け取りたい」という聴衆の思い。二回のサロンコンサートでは、この強いエネルギーが、空気を鮮やかに、そして温かく「染めて」いたように思えました(見えました)。
僕には、ここまでエネルギーを出して、音楽を「聴きたい」と思ったことがあっただろうか?
恥ずかしいです。
大崎、古川で見た、真っ赤な盛りの紅葉
海に浮かぶ蓬莱島(ひょっこりひょうたん島)と雲が、オレンジではなく
ピンク色に染まった大槌の夕暮れ時。
美しい瞬間をいろいろ見せていただいた2日間のツアーでしたが、僕が何よりも一生の財産にしたいと思ったのは、演奏家の方々、スタッフの方々と、お客様のエネルギーが溶け合うことが生み出した「色づく空気」でした。
本当にありがとうございました。
コンサートの幕が開いて演奏家の方が登場する瞬間と、チューニングが済んで最初の一節が耳に飛び込んでくる瞬間は、期待と緊張が強い中だけに、感激もひとしおの大好きな場面です。
その日の朝は、古川駅のホームに降り立った時、大分前の方に四分一さんと、楽器を携えた加藤さん、海野さんの後姿をみとめましたので、皆様に近づこうと早足で後を追いました。
堅牢そうなケースに入った楽器を携えて歩く演奏家の方ってカッコいいですね。肌寒い季節にオーバーコートを羽織っていらっしゃると尚更そう感じます。技術と感性の鍛錬を重ねられた御身と、長い年月にわたって響き続けてきた楽器が、どちらも厚いベールに包まれながらも、文化のオーラを発しているかのようです。それでいて、ちっとも余所余所しさを感じません。親しみ深くも熱いコンサートを予感させるような感慨深い幕開けでした。
この度は、クウォーターのメンバーで先輩の八島さんがお誘い下さったので、何かお役に立てることでもあればと、図々しくも同行させていただきました。なので、ミーハーな気持ちは駅を下りたときに封印し、今日は観客ではないのだと自分に言い聞かせて会場に向いました。
23日の演奏会場となった大崎市民病院の受付ロビーは、立派な垂れ幕に加え、正面が花柄の包装紙をつなぎあわせた即席の壁紙で装われ、あちらこちらに張られた可愛らしい案内のビラと共に、手作り感に溢れていました。
開演が近づくと共に、患者さんが三々五々集まってこられ、受付ロビーは大入り状態。奏者の方と最前列の患者さんの距離がとても近く、互いの息遣いが聞こえそう。
自分は観客ではないと言い聞かせたものの、さて何をしようかと思いつつ客席を眺めながらスナップ写真を撮り始めたところで、演奏が始まりました。
リノリウム床で天井の低い受付ロビーは、音楽を奏でる環境としてはなかなか手ごわそうに思えましたので、演奏家の方はさぞかし大変だろうと心配でしたが、熱のこもった音楽がまっすぐに飛んで来て、代わりに心配のほうはどこかにに飛んで行ってしましました。
演奏家の方々を囲んで、患者さん達が食い入るように聴き入るそのまた周りには、立ったままじっと耳を傾ける病院スタッフの皆様の姿が。
ああ良い演奏会だなとしみじみ感じました。
CDやコンサートホールで聴くのとはまた一味違った加藤さんのヴァイオリンや、加藤さんと梅村さんの演奏を袖で聴き入る海野さんの真剣な表情もとても印象的でした。
ヴァイオリンの加藤さん、ピアノの梅村さん、チェロの海野さん、TBSオッターヴァの斉藤さん、クウォーター代表の四分一さん、理事の川越さん、メンバーの原さん、中村さん、八島さんと息子の一哉君、大変お疲れ様でした。大崎市民病院長の太田先生はじめ、市民病院の大勢のスタッフの皆様には、何かとお世話になりました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。
併せて市民病院で治療なさっている患者様方の一日も早いご快気を祈念申し上げます。
2日間とも本当に穏やかなインディアンサマー。
東北での出前コンサートも2年目。多少余裕を持った動きとなってきた。
今回も、昨年開催した仙台市若林区の蒲町町内会や、新たに山元町の齋藤町長にお話をかけたが、いずれもお祭り時期とぶつかり、会場がないということで、さてどうしようかと---。そんな折、TBSの太田さんのお取り計らいにより、太田さんのお兄さんが病院長をなされている大崎市の市民病院でのロビーコンサートができることになった。 病院の受付のフロアーを片付け、仮の会場とした。車椅子の患者さん達にも大勢集まっていただいた。途中で具合が悪い方が出たらどうしようかと多少不安では会ったが、問題なく進んだ。患者さん達が一生懸命聴いていたのがとても印象的。
終了後、古川ICから高速に乗り、北上、花巻JCT~東和~宮守~遠野へ。途中時雨れてきたこともあり、1回の休憩のみでひたすら走る。(タバコ休憩が欲しかったと非難されたが---)
特に夕暮れから夜の不慣れな土地でのドライブは、多少不安。人家がほとんどないため、周りは真っ暗でまるで別世界。ただただ前を見ながらハンドルを握る。ちょっと緊張。こうした真っ暗闇は、ネオンの中に暮らす東京からの皆さんにとっては、どう感じたのだろう---。
代表の手違いにより、レンタカーはな、なんと、荷物運搬用のハイエース。それもかなり老朽化したもの。予定では、私の旬を過ぎた車は案内役として、先導するつもりであったが、急遽演奏家3名が同乗することに。お蔭様でとても賑やかな道中と相成りました。一方、「我々を荷物同様だと考えているな!(怒り)」と同行者の声。翌朝、大分腰にきていたとの事。お疲れ様でした。
夕食は、遠野市にある、食肉センターにてジンギスカン(ラム肉)。大槌町の佐々木課長からの紹介もあり、店の方にも親切にしていただき、大変おいしくいただきました。ここでも一番賑やかで、お代わりを多くしたのは、演奏家の皆さんのテーブル。皆さん実に健啖家ですねえ。また、よりお肉をおいしく食べるには--と、野菜とのコラボをいろいろ実践されてました。総てにおいて研究熱心、そして好奇心旺盛ですね。
その後、これまた長いトンネルのある仙人峠を走り、9時前にやっと釜石へ。
時間も遅かったので町全体が暗い印象はありましたが、ネオンがあちこちに出始まっているのを見て、多少安心しました。いつものように2次会に繰り出す。朝日新聞の東野さんの紹介のお店で反省会。しかし、じぇじぇじぇ!東北の地でまでHさんの「リンダ、リンダ」の絶唱を聴かされるとは------。
(控えめな私は、一曲も歌いませんでした)
翌朝街を回ってみましたが、町全体はこざっぱりと片付いておりました。がまだまだ、住民が戻ってきていないようで、人の姿があまり見当たりませんでした。
大槌町の近辺は、まだ瓦礫の残骸も残っており、昨年とほとんど同じ景色。
碇川町長、佐々木課長はじめ皆さんお変わりなく元気そう。昼食時町長からわざわざ、鮑のお刺身を差し入れていただき、「としろ」(鮑の肝)と共に堪能しました。高台にある公民館脇の見晴らしのよい場所には観光客の姿もちらほら。演奏会のほうは、他の音楽関係のイベントもあったようですが、多くの町民の方にお集まりいただきました。お客さんは高齢者が中心でしたが、音楽を理解されている方が多かったような印象で、最後まで熱心に聴いておられました。音の反響のよいホールでしたので、昨年同様、我々も大いに満足。やはり、生の演奏は素晴らしい。加藤さん、海野さん、梅村さん、最高!!!
眼下には、本当に穏やかで、静かな海が横たわってました。